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オランダ訪問(1) [スマートエイジング]

オランダ・アムステルダムの郊外・Weesp市にある介護施設ホーフヴェイグHogeweyを訪問してきました。
ここは、認知症の人の住む老人ホームですが、居住スペースの他、スーパーやレストラン、美容室、コンサートホールなどがあり、言わば、全体が1つの町のように設計されているユニークな場所です。

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国際大学や富士通研究所と進めてきた認知症のプロジェクトでは、認知症の人も安心して暮らせる社会について構想を深めてきましたが、その一環で今回の訪問が実現しました。場所自体の見学だけでなく、この場所が生まれた背景とプロセス、この地域で関係する他の取り組みなどもお聞きし、また、現地のマネジメント層や長年取り組んできたスタッフへ日本での認知症についての取り組みやまちづくりについてもお話しし、意見交換をすることができました。今後、日本での取り組むにあたっての重要な示唆を得ることができました。

まずは、どんなところだったのかからご紹介します。

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Weesp市は、アムステルダムの中心から電車で15分ほどの地方都市です。
介護施設ホーフヴェイグは、静かな住宅街の中にあります。
玄関を入ると、中庭のようなところに出ます。周りを見回すと、綺麗なレストランやスーパーなどがあり、空間を様々な人が行き交っていて、ショッピングモールの一角にいるような感覚になります。
認知症の人たちが住むは、この中には囲むようにいつか配置されている2階建ての建物です。その建物は、さらに小さな居住スペースに分かれており、全部で23の居住スペース(ここでは家と呼ばれています。)があります。介護スタッフやボランティアなどが付き添っている高齢者もいましたが、高齢者がひとりで散歩したり、買い物をしたりしているのが非常に印象的でした。

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レストランで、長年このプロジェクトに関わってきたイボンヌさんが、この場所が生まれた背景について話してくれました。この介護施設も、かつては他の介護施設と同じく、病院のような構造の建物で、看護師やヘルパーと一目で分かる格好をしたスタッフが働く場所だったそうです。転機となったのは、1992年。イボンヌさんたちスタッフが中心となって、脱病院化を進め、認知症の人がこれまでと同じように普通の暮らしができる場所にしようと話し合いを重ね、スタッフの教育、働き方、施設のデザインなどを段階的に改善してきました。ちょうど、転機となった頃に、イボンヌさんの父親が突然亡くなったそうで、老人ホームで働いているのに、「父親が老人ホームに入らなくてよかった」と思ってしまったことに大きな矛盾を感じてしまったことが大きな原動力となったようです。

「普通に暮らす」というコンセプト自体は、日本でもよく言われることで、とりたてて珍しいことではありません。しかし、「普通に暮らす」を体現する方法が非常にユニークでした。まずは、このコンセプトについて、改革の中心となったイボンヌさんたち、働くスタッフ、この場所で働くボランティア、居住者たちの家族と、徹底的に対話をしたということです。何が普通かというのは、その人の家庭環境や文化、経済的な環境によっても大きく異なります。対話を通じて、普通の暮らし、普通の家、普通の一日の過ごし方は1つではないということを導き出します。
次に、93年からは、心理学者とともに、ライフスタイルについて調査を始めます。入居している人の家族に聞き取り調査を行い、それらがいくつかのライフスタイルに分類できることが分かりました。世界的にライフスタイルを研究するリサーチ会社の研究成果も取り入れ、最終的に7つのライフスタイルを設定。それに基づき、23の居住エリアをデザインし、2002年に現在のホーフヴェイグが完成しました。

7つのライフスタイル

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居住者は、入居する前に、本人か家族によるアンケートを行い、7つのライフスタイルの中でどれに該当するものが多いかを判断し、希望も聞いた上で入居する場所が決定されます。
注意したいのは、これらは、人間を7つに分類すると何もかも上手くいくということではなく、普通の家に住むことに近づけるための手段としてライフスタイルを位置づけているということです。普通の家に住むということは、家庭的な環境のユニットを作る必要があり、そこには、比較的近い価値観の人と過ごすことが大事であるという考えに基づいています。

いくつかの居住エリア(家)を見学させていただきましたが、1つ1つの居住エリアは、日本でいうところの認知症グループホームのユニットに近い感じです。各ユニットには、7〜8人が住んでおり、一人一人の部屋があり(必ずしも一人部屋ではないようですが。)、共有スペースにリビングとキッチンがついています。スタッフは、ユニットにつき1.5人、それに加えて、地域のボランティアの人たちがいます。面白いのは、ライフスタイルに応じて、スタッフの仕事も少しずつ違うという点です。例えば、家庭中心型の家では、食事を作ったり、選択をするのは居住者が中心で、スタッフやボランティアはそのサポートをする役割を担います。一方で、アッパーミドルクラスや都市型の家では、食事の内容を決めたりするのは、居住者ですが、実際の作業をするのは、スタッフやボランティアが中心です。家事1つをとっても、これまでの暮らし方が異なるのです。

こうしたライススタイル別に暮らしていると、他の人と交流する機会がないのではないかと思う方もいるかもしれませんが、そこで出てくるのが町です。家を出ると、他の家が並び、スーパーやレストラン、コンサートホールがあります。ベンチに座って、他の家に住む人と会話することもできるし、その他町には、様々なクラブ活動が用意されていて、音楽を楽しんだり、絵を描いたりすることもできます。移動には、地域のボランティアが付き添う場合もあれば、居住者だけで移動している場合もあります。
認知症ではない私たちの暮らしも、実はこうした構造をもっているのではないかと思います。家や会社という比較的近い価値観を持った集まりにベースを置きながら、趣味や旅行、地域の活動を通じて別のグループとも交流を持つ。こうした「普通の暮らし」の構造が再現されていると言えます。

この町の特徴は、認知症の人でも人で出歩いて大丈夫というところです。スーパーで買い物をして、もしお金を払わないで出てしまったとしても、あとで店員さんがその人の住む家にいるスタッフに連絡をとって、お金をもらうか商品を返すかなどの対応をとってくれます。レストランに、認知症の人が、レストランだとは気づかずに迷い込んできてしまったとしても、レストランの人が気づき、座ってもらい、飲み物を出してくれます。この町は、認知症の人が安心して出歩ける町なのです。

なぜ、自由に歩いても大丈夫なのでしょうか。日本の介護施設で、比較的重度の認知症の人が一人で自由に出てもよいというところはないと思います。
実は、この町は出入口がひとつしかない管理されたエリアだからです。出入り口には、24時間スタッフが常駐しているのです。町ではあるけれど、囲まれた町、あるいは町のように構造をもった1つの施設だからなのです。ですから、認知症の人が、いつでもこのエリアの外に出られる訳ではないので、本当の意味で自由ではない訳ですが、その一方でこのエリアの中では“自由”に移動できるのです。スーパーの店員も、レストランの店員も、介護スタッフではありませんが、ここを運営する財団のスタッフで、認知症に関する専門の研修を受けています。

昔、トゥルーマンショーという映画がありました。主人公の男性が、ある時、突然自分の人生自体がショーであり、家族や友人も役者、町もセットであること知るというものですが、この場所を認知症の人をだまして、普通に暮らせるように見える大きな施設を作っている、という批判もあるようです。確かに、普通に暮らすためには、スーパーやレストランが1つずつあるだけでなく、いつでも遠くへ旅に行くことができたり、いくつかの居酒屋をはしごしたりということも含まれるかもしれません。時には、道に迷ったり、お金を落としたりするのも普通に暮らすということに含まれるかもしれません。囲まれたエリアで町を作っても、それは擬似的なものでしかない、というのはもっともなことです。イボンヌさんも、認知症の人がどこでも出歩ける地域というのが、実際にあるのであれば、そちらの方がよいし、私たちのところは必要ないと言っていました。しかし、まだ世界のどこにもそんな町はありません。ひとつの具体的な町のひな形を作り出しているという意味で非常に意義のある取り組みだと思いました。

日本への示唆については、次のエントリーで書きたいと思います。
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