認知症とともに生きる方の声を募集 [ニュース]
NHKが認知症とともに生きるご本人の声を募集しています。
寄せられた声は、12月に放送される特集番組に使われます。
これからの社会の設計を考えるとても大事な機会になると思います。
本人の方はもちろん、周囲の方も、声を届けるサポートも含め、ぜひお寄せいただければと思います。
(チラシ本文)
認知症になった「あなた自身」の本音を聴かせてください。
どんなことでもかまいません。 あなたの体験談や感じていること、 まわりの人や社会に伝えたい意見や提案などをお寄せください。
たとえば・・・ ○認知症と診断されて、感じたこと
○日々の中でつらかったこと、不自由なこと
○腹が立ったこと、うれしかったこと
○どんな暮らしをしたいのか、これからの希望
○医療や介護、社会や制度への提案 など
NHKでは、この数年、認知症に関する事件や事故だけに着目した社会部的な番組がたくさん放送される一方、そもそも認知症の人がどのように感じているのか、どのような暮らしを望んでいるのかに焦点をあてた番組がほとんどなかったので、今回の声の募集を通じて、認知症の人の声をベースにした番組が制作されるとよいなあと思っています。
こうした本人の声の募集は、過去にも国で募集をしたことがあり、各論はともかくとして、総論としては、認知症の人の声をもとに考えるようという流れになってきました。政策にしろ、商品サービスにしろ、ユーザーの声をもとに、ということが言われるようになってきたことは、非常によい変化ではないかと思います。
一方で、声を募集という時に、認知症という障害の性質上、そう簡単に、意見を伝えることができないという問題も以前として残っています。認知症のご本人の中には、全国各地で講演をされる方もいれば、本を出版する方もいますが、一方で、多くの人が、ご自身の思いや困っていることを、周囲の人に整理して伝えることが難しいという事実もあります。選択肢があれば、好きな方を選ぶことはできるが、自由回答では難しい方もいらっしゃいます。集められた声だけをもって、認知症の人の声と呼べるのかなどの指摘もあります。現在、国や有識者の間でも、どのように声を集め、どのように集計し、社会や政策に反映するのかが議論されているところですが、世界中を見渡しても、分かりやすい正解がある訳ではありません。
では、声をあげたり、声を集めることに意味がないのかというと・・・そんなことはないと思います。
現在、認知症の当事者で、社会に発信している人の多くは、オーストラリアの当事者・クリスティーンさんの本や講演に影響を受けて、立ち上がった方が中心です。誰かが声を上げると、他の何十人の当事者の意識が変わり、その中の人が立ち上がりという連鎖が生まれつつあります。
統計的に、認知症の人の声の分布がどうなっているのか、ということよりも、認知症とともに生きる人の声が発され、それを聞いた人たちに気づきが生まれ、変化の連鎖が生まれて行くためには、とても大事なプロセスではないかと思います。
声を募集と言われても、簡単に記入できないという方も少なくない思いますが、ご家族や周囲の人の力も借りながら、ぜひメッセージを番組へ送っていただければと思います。代理で記入いただいたり、声を整理したりするサポートを含めて、声をあげられる環境づくりも、とても大事なことだと思います。
一人でも多くの方がメッセージを送り、新しい社会へのヒントが見つかればと思っています。
寄せられた声は、12月に放送される特集番組に使われます。
これからの社会の設計を考えるとても大事な機会になると思います。
本人の方はもちろん、周囲の方も、声を届けるサポートも含め、ぜひお寄せいただければと思います。
(チラシ本文)
認知症になった「あなた自身」の本音を聴かせてください。
どんなことでもかまいません。 あなたの体験談や感じていること、 まわりの人や社会に伝えたい意見や提案などをお寄せください。
たとえば・・・ ○認知症と診断されて、感じたこと
○日々の中でつらかったこと、不自由なこと
○腹が立ったこと、うれしかったこと
○どんな暮らしをしたいのか、これからの希望
○医療や介護、社会や制度への提案 など
NHKでは、この数年、認知症に関する事件や事故だけに着目した社会部的な番組がたくさん放送される一方、そもそも認知症の人がどのように感じているのか、どのような暮らしを望んでいるのかに焦点をあてた番組がほとんどなかったので、今回の声の募集を通じて、認知症の人の声をベースにした番組が制作されるとよいなあと思っています。
こうした本人の声の募集は、過去にも国で募集をしたことがあり、各論はともかくとして、総論としては、認知症の人の声をもとに考えるようという流れになってきました。政策にしろ、商品サービスにしろ、ユーザーの声をもとに、ということが言われるようになってきたことは、非常によい変化ではないかと思います。
一方で、声を募集という時に、認知症という障害の性質上、そう簡単に、意見を伝えることができないという問題も以前として残っています。認知症のご本人の中には、全国各地で講演をされる方もいれば、本を出版する方もいますが、一方で、多くの人が、ご自身の思いや困っていることを、周囲の人に整理して伝えることが難しいという事実もあります。選択肢があれば、好きな方を選ぶことはできるが、自由回答では難しい方もいらっしゃいます。集められた声だけをもって、認知症の人の声と呼べるのかなどの指摘もあります。現在、国や有識者の間でも、どのように声を集め、どのように集計し、社会や政策に反映するのかが議論されているところですが、世界中を見渡しても、分かりやすい正解がある訳ではありません。
では、声をあげたり、声を集めることに意味がないのかというと・・・そんなことはないと思います。
現在、認知症の当事者で、社会に発信している人の多くは、オーストラリアの当事者・クリスティーンさんの本や講演に影響を受けて、立ち上がった方が中心です。誰かが声を上げると、他の何十人の当事者の意識が変わり、その中の人が立ち上がりという連鎖が生まれつつあります。
統計的に、認知症の人の声の分布がどうなっているのか、ということよりも、認知症とともに生きる人の声が発され、それを聞いた人たちに気づきが生まれ、変化の連鎖が生まれて行くためには、とても大事なプロセスではないかと思います。
声を募集と言われても、簡単に記入できないという方も少なくない思いますが、ご家族や周囲の人の力も借りながら、ぜひメッセージを番組へ送っていただければと思います。代理で記入いただいたり、声を整理したりするサポートを含めて、声をあげられる環境づくりも、とても大事なことだと思います。
一人でも多くの方がメッセージを送り、新しい社会へのヒントが見つかればと思っています。
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