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認知症対策の罠 [活動日誌]

今日(昨日)は、神奈川で、とあるまちづくり関係の会合2つに参加させていただきました。
どちらも、行政や医療関係者、社会福祉協議会、地域包括支援センター、住民グループなどが集まり、
今抱えている課題や今後のあり方などについて話し合う会です。
クローズドな会なので、詳しい内容は書けないのですが、
話し合いを聞き、今日感じたことを差し支えない範囲で挙げると・・・
(特定のケースについてではありません。あくまで一般論ですので、ご注意ください)

(1) みんな、すでに、かなりがんばっている

孤独死、ネグレクト、不適切な医療や介護によるQOLの低下などが 様々な課題が指摘されているが、行政、医療関係者、福祉関係者、 住民グループは、それぞれにかなりがんばっている。

にも関わらず、医療や介護職が適切に介入すれば、本人や家族のQOLを高める ことができることが明らかなケースでも、家族が非協力的で介入できないとか、 連携できる医師がいるか情報がない、といった理由でそのままになっていることがある

これまで、問題が顕在化する度に、高齢者虐待、医療介護の連携など 様々なトピックごと(多くは行政の担当部署ごと)に会議が開かれ、問題点の洗い出し、 報告書の作成がなされ、担当者に作業が振られるということが行われてきた

しかし、前述のように、会議に出席している人々は皆それぞれにすでにいっぱい 役割を抱えており、ものすごい責任感の強い人やスーパーマンへ更なる負担がいってしまい 分かっちゃいるけど・・・できないという状況になっている

こうした悪循環を断つためには、 「みんなすでにがんばっている」ことを共有した上で、 新たな仲間(潜在的な協力者)を見つけ、WIN-WINな関係を築ける状況を作りだす必要がある

協力者は、趣味サークルかもしれないし、スナックの常連グループかもしれないし、 コミュニティビジネスをする企業かもしれない・・・


(2)よかれと思うことが、必ずしもよくないことも

それから、専門職やボランティアなどが介入することは一般によいことだと思われているが、 必ずしもそうではないこともある

たとえば・・・

ケアマネジャーが介入し、「もっときちんとした病院で診察を受けましょう」と介入することで、 それまでつきあいのあったかかりつけ医との関係が切れてしまい、大学病院でも診断だけでフォローがなく、 医療の中断を招いてしまう。

本当は、飲み仲間と一緒にスナックにいくのが唯一の楽しみだったのに、家族の要望で夜は外出しないことにして、その代わりに安否確認で、知らないボランティアが夜見回りにきて、引きこもりにつながる。

もともと住民活動が盛んな地域で、自然な形での見守りができていたのに、新たな地域計画に沿う形で別の組織が立ち上がる。

上記のケースはそれほど多くないものかも知れませんが、もともとあったものを活用せず新たなものを構築しようとすることで、かえってよくないことにつながるということは往々にして起こりうることである。 個人や地域の来歴が分かった上で、介入の必要があるのかあるとすれば、どのような形で介入すればいいのか、慎重な姿勢が必要ではないか

途上国の開発支援でも、こうした介入のあり方に関する議論があり、 参加型開発とか内発的発展といったことが言われている。 誰のニーズなのか、誰のためにやっているのか・・・ こうした視点に留意する必要がある


通常、課題があって、解決策があると考えられていますが、
政策(これは行政に限らず、パブリックな問題に対応する主体に共通)分野では、
往々にして、可能な解決策から逆算して、課題を設定するという傾向があることが知られています。
知らず知らずのうちに、この罠にはまっていないか・・・
自分自身も、こうしたことを心に留めておきながら活動したいと感じました。


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