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思い出のコーヒーカップ [雑記]

先週、我が家にコーヒーカップが加わりました。
実は、3月に訪れた北海道の北竜町で、
陶芸をさせていただいた時に、自分で作ったもの。
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北竜町は、まちぐるみで認知症の方と家族をサポートしていることで有名なところで、全国から見学の人が毎月訪れます。大きな町ではありませんが、それだけに町の皆さんが認知症のことを理解し、それぞれにできることをしているといった印象です。私が行った時には、中村信治さんという認知症の方が、地域の方と陶芸をしているところに参加させていただきました。その様子は、なんとブログにも掲載いただいてしまいました。
http://blog.canpan.info/sohimawari/archive/348

まっ白なコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、認知症の方や町の方々と過ごした時間を思い出す・・・なんか素敵なひとときです。

ちなみに、北竜町では、夏に認知症の方や家族も参加する
マラソン大会が開かれるそうです。
RUN伴の姉妹企画みたいなものですね・・・
残念ながら、私は都合がつかず行けないのですが、みなさんいかがでしょうか。
http://blog.canpan.info/sohimawari/archive/445

北竜町のみなさんには、RUN伴にご寄付までいただいてしまいました。
この場を借りまして、御礼申し上げます!


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うれしかったこと! [雑記]

今日は、妻と二人で祖母の家に遊びに行きました。

うれしかったのは、祖母と一緒に住む叔父が、
RUN TOMO-RROWの企画をブログで見てくれて、
帰り際に、応援の寄付を渡してくれたこと。

今まで、仕事の内容で、家族や親戚と直接関係することは少なかったけれど、
走ること、挑戦することを通じて、取組みに共感してくれ、こうして応援という形で
つながれたことは、本当にうれしかったです。

お福の会で出会った友人も走りに来てくれるし、
PARACUPの仲間も、北海道に走りに来るべく仕事を調整してくれてるそうです。
今回、走る人、沿道で応援してくれる人、寄付をしてくれる人・・・全ての人がつながれる瞬間に、そして次へとつながりが続いていくようなものを生み出していきたい、と思いました。

あと、1ヵ月半がんばって準備しよう!
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「介護サービスの未来」から考えたこと #kaigo [雑記]

町田で働くデイサービス「おりづる工務店」を立ち上げた前田さんと最近、同じ職場となり、話をする機会が多くなり、高齢社会のデザインや介護サービスのこれからについてもよく話しています。

その中でキーワードとして出てきたのは、「次世代型デイサービス」。

団塊の世代が、介護サービスを利用する側に回った時に、現在の介護サービスで果たして満足するのだろうか?ということです。

80~90代の人たちは、一般的に「やっかいになって申し訳ない」という意識が強く、サービスに内容に対して、利用者自ら主張することは少なく、どちらかというと、介護家族の声を聞く形で介護サービスが運営されています。それに比べて、団塊の世代は、自分たちの人生を自分たちでデザインしてきたという意識が強く、自分たちには望むサービスを享受する権利があるという意識が強く、介護サービスへの要望も、自らを主語にした主張になってくると予想されます。デイサービスのメニューひとつとっても、みんなで塗り絵をしたり、みんなで歌を歌ったりという従来型のものでは対応できなることは必至です。普通のサービス業では当たり前の、ユーザーが満足できるサービスの展開がようやく大きな流れとして生まれる環境が出てきたと言えると思います。

前田さんの始めた「おりづる工務店」は、男性を中心とした体を動かしたいというニーズや、仕事をしたい、人の役にたちたいというニーズに対応したサービスでした。今、全国にこうした、ユーザー志向のサービスが広がっています。北海道では畑を耕したり、香川ではうどん屋さんをする取組みもでてきています。
こうなってくると、「介護」=「一方的に何かをしてあげる」ということではなく、高齢者や認知症の人が社会の一員として役割を持つことを支援すること、ということになってくるかもしれません。

残念ながら、政治や行政の世界では、介護は負担でしかなく、高齢者や病気の人は生産性の低い”お荷物”という発想しかありません。介護サービスのこれからを通じて、人が人生の後半をどのように生きるのか、どのように人と関わり、死んでいくのかをもう一度構想する時期ではないかと思います。各地で素晴らしい取組みをしている人々の知見が、霞ヶ関や永田町にいる人々に伝わるよう、私も私なりのチャレンジをしていきたいと思います。
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なぜ、認知症の問題に取り組むのか? [雑記]

初めての方とお会いすると、
「若いのに、なぜ高齢者の問題、特に認知症について取り組んでいるのですか?」
とよく聞かれます。

普通のNPO、例えば、教育や環境問題、貧困支援などに取り組む人は、あまりこうした質問を受けないのではないでしょうか。恐らく、医療や介護の問題は、直面して初めてどのような問題があるのかを感じることが多く、問題についてのイメージがわかないので、すごく特殊な人々の人権を守る活動みたいに思っている方も少なくないのかもしれません。

番組制作をしていた頃に、認知症の方やご家族と出会い、これは「特殊でかわいそうな人の問題」ではなく、医療や介護の業界のみならず、社会全体の設計に関わる問題で、認知症を入り口にその設計に関わりたいと思ったからなんですが、そう言われても分からないと思うので・・・
ちょっと長くなりますが、なぜ私が今この問題に取り組んでいるのか、経緯について書きたいと思います。

認知症の問題との出会い
初めて認知症の問題と出会ったのは、2006年、ドイツの介護施設を取材していた時でした。興奮したり、奇声を上げて、一見何をしようとしているのか理解できないお年寄りたちと、心を通わす技術があることを知りました。バリデーションという方法を通して、お年寄りの気持ちに共感し、同じ場所に立つことで、信頼関係を築き、穏やかな暮らしを送ることが可能になります。 その時思ったのは、認知症そのものは、脳の病気ですが、認知症を問題たらしめているのは、周囲の人々であり、社会のあり方、人々のつながりのあり方ではないか、ということです。

その後、各地で日本で認知症の方たちの取材させていただきましたが、適切な情報を得て、周りの人々が連携しあって支える環境があれば、認知症になった方は、本当にイキイキと暮らすことが可能です。その一方で、適切な情報に出会うまでに何年もかかった方や、行政や医療の狭間で置き去りにされたままの人が少なくないことも感じました。認知症の方が詐欺などの被害にあったり、判断力の低下から家族間で資産トラブルになったり、あるいは家族が介護のために離職したりと、様々な問題が噴出するようになっています。

日本は、歴史上、前例のない認知症社会に突入しているのです。しかし、現在、国は認知症対策の方向性も示せないまま、最低限度の仕組みであるはずの介護保険制度も財政上の理由から修正を余儀なくされいます。このまま、問題が放置されれれば、認知症の方やご家族だけでなく、社会にとっても大きな損失になることが目に見えています。

「対策に予算を」という従来アプローチの限界
とは言え、「これだけの赤字財政で、これ以上の対策予算は無理では」とか「人のつながりが希薄化し、雇用環境が悪化する中で、健常者でも安心して暮らせないのに、ましてや病気の人が安心してくらせるなんて無理」
といった声が聞こえてきそうです。

確かに、10年前に鳴り物入りで登場した介護保険制度も、財政上の理由から、介護給付を抑制する方向に舵を切っており、陳情などを通じて予算を大幅に増やすことは難しいでしょう。しかし、認知症になっても安心して暮らせる社会を目指すことは、同時に自殺に追い込まれる人を減らすことでもあり、地域医療の改革を行うことでもあり、介護職の労働環境を改善することでもあり、非正規雇用やワーキングプアーの問題に取り組むことでもあります。

社会のイノベーションが必要
好む好まないに関わらず、日本は、人類の歴史上経験のない割合の高齢者がいて、その中の相当数の人が認知症であるという、「認知症社会」になっていきます。高度経済成長期のように、パイが成長を続ける社会であれば、陳情と富の再分配により、老いや介護を、厄介ごととして対処するアプローチで大丈夫だったかもしれません。しかし、現在の日本は、パイがほぼ増えない社会であり、別の方法が必要になります。すなわち、例え、人物金が増えなくても、埋もれている資源を見つけ出し、それらをつなぎ合わせることで、<住みやすさ>や<安心>を増やしていくというアプローチ、すなわち社会イノベーションが不可欠なのではないかと思います。

NPOの世界に転じてから1年半。まだまだ、トライアンドエラーの段階ですが、全国に散り散りになっている問題解決のための資源(人やアイデア、お金)を掘り起こし、つないで、解決への道筋をつけていきたいと思っています。

(長文読んでくださった方はありがとうございました。)
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力を与えてくれる言葉 [雑記]

時々迷った時に、力を与えてくれるのが
スティーブ・ジョブスのスピーチです。
大学の卒業生に向けての言葉ですが、
人生のどんなステージでも心に響く言葉です。
ずっと大切にしたいと思っています。




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「社会にイイコト」を支援するサイト  [雑記]

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以前、お世話になったことのあるヨセミテという会社の方が、
新しいサイトを始めたとのことで、ご連絡をいただきました。
その名も、フォーグッドということで、『社会にイイコト』を志す人を
つなぎ、新しい動きにつなげていくためのSNSのようなサイトだそうです。
http://4gd.jp/

今日は、とりあえず、登録してみました。
まだ活用法が理解しきれていないのですが、社会的な課題を解決するには、
1つの組織内のリソースでは解決できないことが多く、こんなプラットフォームが
あるといろんな動きがでてくるきっかけになりますね。制作した方に拍手!感謝!



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二極化する認知症の現場 [雑記]

認知症の分野で、様々な現場を訪れ、最近気になっていることがあります。

経済学の分野で、<資本集約的>と<労働集約的>という言葉があります。
産業を構成する資本設備(=お金)、労働力(=人)のどちらに依存する度合いが高いかという意味なのですが、実は認知症の世界にもこの2つの言葉がぴったりの産業があります。

ひとつは、病院。
もともと、医療は専門職が多く人件費が占める割合が大きい産業ですが、近年専門分野がどんどん増え、高額な検査機器や電子カルテなどの導入により、<資本集約的>になっています。

一方は、介護施設。
介護保険制度の開始以来、様々な施設や在宅サービスが生まれ、多くの人が介護の職場で働くようになりました。さらに本人の暮らしと意思を尊重する介護サービスが言われるようになり、より一人当たりの介護職員が必要だと言われ、より<労働集約的>になっています。

この2つの動きは、一見違う流れのように見えますが、実は一つの大きな流れのように感じられます。

医療は、病の人がいた時に、病がいったいどんなものなのか分析をして、医学の進歩とともに、更に細かく病気を分類し、その医療機関が治療できると分かった病に対して、治療を行います。介護は、こうした医療のアプローチからこぼれ落ちた人に対し、あるいは医療でカバーできない側面を、人を多く貼り付けることで対処しようとします。(こうした見方には、異論がある方も多いと思いますが、あえて単純化して書いています。)

これは、さらにそれを担う人々にも対応します。
高等教育を受け、経済的にも社会的にも厚遇されるた医療従事者。
専門学校などを経て介護職になったが、年収200万円程度で、家庭を持つこともできない介護職。
どちらも認知症の人に接する仕事であるにも関わらず、職業は二極化し、アプローチも大きく異なっています。
認知症の現場にある格差の構図が、課題を困難にしているように思います。


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