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なぜ、フレンドシップなのか? [認知症フレンドシップクラブ]

最近、様々な場所で、認知症フレンドシップクラブのお話をさせていただきます。
介護や医療の分野だけでなく、一般の方や企業の方々との対話の中で、

「なぜフレンドシップなのか?」

漠然と考えていたことが、より明確になってきました。

私のこれまでの活動を整理する上でも重要なことなので、少し長くなりますが、以下に述べてみたいと思います。

線としてのケア

1 .jpg認知症の分野において、「あそこの施設はよくない」とか「どこそこの先生は、名医だとか」という話は、おおざっぱに言ってしまえば、認知症の人と何か(例えば、介護だったり、医療だったりします。)という一本の関係性の話です。(※赤丸が認知症の人、もう一つの丸が医療や介護などです。)

確かに、認知症をめぐる個々の医療・ケアの質の問題は、重要です。様々な病院や施設を取材すると、同じ日本の同じ時代なのかと思うほど、異なる風景が広がっていることがあります。しかし、これは、あくまでケア(ここでは医療を含む広い意味)の質、つまり線が太いか細いかという問題が扱われているに過ぎません。病気になると、多くの人が、名医探しや優良な介護施設探しを始めますが、これは多くの場合あまりうまく行きませんし、お金やコネを持っていない人にとって解決にはなりません。

”遠くの名医”に診断を受け、高級有料老人ホームに入っても必ずしもよいとは限りません。むしろ、認知症の分野において、”遠くの名医”は多くの場合問題の種ですらあります。「線としてのケア」の議論で抜けているのは、個々のサービスの質だけを問題にしていても解決は見えてこないのです。

面としての多職種連携

2.jpgそこで提唱されるのが、多職種連携です。医療や介護、行政などが情報を交換し、目的意識を共有することで、その人の生活の質を上げていこうという考え方です。正三角形の頂点には、医療、介護、行政などが入り、真ん中に認知症の人が入る図をよく目にすると思います。線に対し、これは面としてとらえることができると思います。

この議論で重要なのは、医療や介護といった個々のサービスの質だけでなく、それらがどのようにつながっているか、主体同士の関係性、形が問われている点です。この考え方ならば、個々のサービスの質がそれほど高くなくても、チームとして連携すれば、認知症の人や家族の生活の質を高めることができるということです。高度医療や高級介護施設が多い東京ですが、認知症の人や家族を支える体制が整っていないと言われるのは、面としての多職種連携がうまくできていないことが背景にあります。

一見、ここまでの議論で十分にも思えますが、面としてとらえる考え方にも限界があります。それは、医療や介護が連携する目的は単一で、多くの場合、認知症の人を「保護する対象」としてとらえている点です。様々な専門家たちが連携を何のためにするのかと言えば、そこに問題があると考えるからです。もちろん、個々の医師や介護職は、必ずしも認知症の人を”問題”と捉えているわけではありません。しかし、専門家が仕事としてやるからには、そこには一定の目的があることは否めない事実です。連携はある目的があるから連携しているのです。ある認知症の人の人生や暮らしから考えた時に、専門家が占める位置というのは、ごく一部に過ぎません。面としての連携は、面の中では強固な連携に見えますが、別の角度から見れば一枚の紙に書かれた図に過ぎないのです。

各地では、連携が声高に叫ばれ、連携が重要なことは言うまでもありませんが、一方で、同じ地域に住んでいても、同じ医療や介護の資源と使っていても、豊かに生きる人もいれば、疲れきってしまう人もいる。これまで認知症の人や家族を取材させていただき、強く感じてきたのは、まさにこの点でした。

立体としてのコミュニティ

3.jpg私が、感じているこの感覚を図で表すとすれば、三角錐の中にあって、様々な角度から支えられる人の存在です。医療や介護の連携は、ひとつの面ではありますが、同時に、その人を支えているのは、友人であり、町や旅先で出会う人であり、買い物をしたお店の人だったりします。立体を観察すると、多様な面があり、それらに支えられた認知症の人は、多少の衝撃では揺るがない存在になっています。

「なぜ、フレンドシップなのか?」という問いに関しては、この問題意識から自ずと答えがでてきます。人の存在を、立体的に捉えると、認知症の問題を医療や介護といった専門家だけにまかせる面のアプローチでは、認知症の人の生きがいや人生の豊かさを担保することはできません。ある時は、患者や要介護者という面も持ちますが、ある時はお客さんであり、ある時は趣味人であり、ある時は頼られる友人でもあるのです。

よく福祉業界では、公的なサービスのことをフォーマルサービスと呼び、ボランティアや助け合いのようなものをインフォーマルサービスと呼び、後者を前者の補完的なものと位置づける傾向がありますが、私はこれは完全に間違った呼称だと思っています。人を支えるの面には様々な面があり、どちらも不可欠なものなのです。高齢社会の問題を、社会保障の持続性の問題ととらえる傾向も同じように、誤りだと思います。公的なサービスだけでなく、コミュニティーのあり方やそれを支える民間のサービスを一緒に考えて初めて解が見えてくるのだと思います。

今、様々な分野で活躍する人たちや介護医療の分野で挑戦を続けてきた人たちを対話させていただくと、表現こそ違えど、同じことを考えていることを強く感じています。何も認知症のことだけが他の問題と比べて極めて重要ということではありません。認知症の提起することを掘り下げていくと、他の問題同様、コミュニティーの問題(人と人の多層的な結びつきの形)に行き着くのです。

一般に、何もとっかかりなしに、人と人の結びつきを考えることは難しいことです。しかし、認知症の人の抱える生きづらさに耳を傾けることで、より具体的に、よりリアリティーを持って、コミュニティーのあり方を考えることができるようになるのではないかと思います。

***

フレンドシップクラブ東京事務局では、
フレンドシップサポーター(サポ友)の養成講座を実施します。
全ての人にとって実りのある体験になると思いますので、ぜひご参加ください。
http://dfc.or.jp/news/993/






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